“仕事に行きたくない”と月曜日の朝が死ぬほど憂鬱だった公務員時代の話。思い返すだけで今でも動悸がするぐらい仕事が嫌だった。

どうも、ミロクです。

 

仕事に行きたくないと思うのは、

僕は結構当たり前の感覚というか、

そもそも悪いことだと思ってません。

 

たぶん半数以上の人は

仕事なんて行きたいとは思っていないはずです。

 

じゃなきゃ、

朝の通勤電車で無言で覇気もない

どんよりした空気にならないと思うんです。

 

ただ、職場に着く頃には無理にでも

笑顔で振る舞わなきゃいけないんですよね。

 

それがまた疲れる。

 


 

ここからはあなたと同じように

「会社に行きたくない」

と僕自身も思っていた時期があるので、

その話をします。

 

「超共感した」

とか言われたことも実際あるんで、

暇つぶしに読むだけでも面白いと思います。

 

ここからストーリー↓

============

そもそも僕は就職なんてしたくなかった。

 

本音を言うと、

ずっと学生で自由に暮らしたかった。

 

親の金銭的な支援があった故の自由だったとはいえ。

 

だから、大学院に進学して

少しでも長くモラトリアムを楽しもうとした。

 

ただ大学院に進学しても

いずれ就職しなければならない現実が、

定期的に頭をよぎって憂鬱になっていた。

 

期限を延長したたけであって

いずれその時がやってくることには変わりないから。

 

その不安な気持ちをそらすために、

もやもやした気持ちを抱えながらも、

一人暮らしの暗い部屋でひたすらネットとかして

現実逃避ばかりしていた。

 

 

ただ、大学院の2年間なんて本当にあっと言う間で。

無念にも就職活動しなければいけない時期がやってきた。

 

ここで就職から逃げたら、

社会のレールから外れて人生一貫の終わりなんだろうな・・

 

だから、

僕はどんなに働くのが嫌でも就職するしかない。

会社に縋るしか生きる道は無いと思ってた。

 

 

ちなみに、

僕は大学で建築を学んでいた。

 

コンクリートを作って強度試験したり、

建物の設計図書いたり、

模型作ったりとか。

 

なお、

建築系の学生の主な就職先は、

設計事務所やゼネコン、住宅メーカーとかの

基本的に長時間労働のところばかり。

 

いわゆるブラックな業界。

 

僕は別に体力があるわけでもない。

内向的でエネルギッシュとは無縁の人間。

 

だから、自分が職場でイキイキと働く

イメージはまるでできなかった。

 

というか、

そもそも建築分野への興味自体

当時も現在も未来も1ミリもない。

 

興味のあることが見つからなくて、

安易になんとなく建築分野に進んだだけだった。

 

 

そんな興味も無い仕事をずっと続けるとか地獄やろ・・

 

これが5年や10年ならまだいいかもしれないけど

白髪・シミ・シワだらけのジジイになるまでだ。

 

退職したらもう体はボロボロ。

あとは余生を惰性で過ごして死んでいくだけ。

 

しかもブラックな業界に就職したら、

唯一の土日すらも満足に休めなくなるかもしれない。

 

 

 

どうしよう、、、

 

 

 

 

そうだ、公務員になろう。

 

安定していると言われるし、

土日祝は休みだろうし、

仕事も楽という話を聞くし、

 

なにより親も安心するだろう。

 

 

僕は公務員試験を受けることに決めた。

 

ブラック労働で死にかけることを思えば

ちょっとの勉強ぐらい僕にはたやすかった。

 

 

公務員試験は大学院2年の夏頃だった。

 

その半年ぐらい前から、

大体毎日3時間ぐらいは勉強してたかな。

 

で、筆記試験や面接を経てなんとか受かって、、、

親は喜んだし、僕も一安心という感じだった。

 

ただ、どちらにしても就職はしなきゃいけない。

 

そして、とうとう大学院卒業の3月になってしまった。

 

 

これから懲役40年?が始まるのか。。

僕の人生の夏休みは完全に終わった。

 

あとは人生の大半の時間を労働に割いて死んでいくだけか・・

 

 

大学院を24歳で卒業した4月。

ついに僕は社会人になってしまった。

 

慣れないスーツを着て、

朝の6時半とかに目をこすりながら起きて、

通勤電車に乗って職場に向かう日々。

 

 

ついこないだまでは

ヘタをすると昼まで寝てたのに・・

 

 

そして、3週間の研修期間を経た後(何一つ覚えていない)、

同期はそれぞれの課に配属されていった。

 

僕は学校で建築を勉強していたのもあり、

建築関係の部署に配属された。

 

作業着を来た土建屋のおっさんとか、

設計事務所のおっさんとか、

アーティスティックな風貌をしたデザイン系のおっさんとか、

 

基本おっさんしか来なくて、

普通の市民は早々来ないような部署。

 

僕のデスクの正面には50歳の白髪交じりのベテランのおじさん。

横の席には一つ先輩でショートカットの地味目な女性。

 

直属の係長は、

霞が関に出向するような出世街道を歩む

30代後半の綺麗な女性。

 

ぶっちゃけ環境が一変し過ぎて最初は、

いったいここはどこ?

状態だった。

 

 

そして僕は、

全部で35人ほどいる配属部署で

一番最初に鳴る代表電話がある机に座らされた。

 

これはつまり、

自分の課に業者や市民が電話を掛けると、

僕のデスクの固定電話が一番最初に鳴るということ。

 

なので、

掛かってきた案件ごとに

適切な係に振らないといけなかった。

 

 

仕事は定時で帰れることが多かったけど、

慣れない電話応対だけでも疲労困憊だった。

 

まず話している単語が意味が分からん。

「建築基準法12条の定期報告の件でお伺いしたいんですがー‥」

 

僕「は、はい?て、テイキホウコクですか・・」

 

最初は全くといっていいほど対応できず、

前のおじさんに代わってもらって恥を晒したり。

 

これはまだいいほう。

 

何を喋っているか言葉がほぼ聞き取れない

市民のじーさんとかも掛けてくる。

 

爺「はぁああぁあ、はの、あのねぇ。あせえrうぇあえwたkじゃsklsんやけども、おひえてもらえますか??」

 

 

 

・・・・・・

 

 

(((ヤバ・・・ほぼ聞き取れなかった・・))) ^^;

 

 

無能過ぎた僕は、

どう対応していいかわからず

思わず数秒黙りこくってしまい、、、

 

その後も格闘した末、

 

「もうひぃですわぁあ!!」

最後にはじーさんは電話を切ってしまった。

 

 

こんな風に、

ただの電話対応だけでも、

不器用だった僕は疲弊しまくった。

 

黒歴史が多すぎて書くだけで辛い。

 

そして配属からしばらく経ったある日、

職場の廊下を歩いていると、

通り掛かりの先輩にこんなことを言われた。

 

先輩「おい、ミロク。えらい顔疲れてるけど大丈夫かー?」

僕「・・・え、ほんまですか?」

 

トイレの鏡で自分の顔を確認してみると、

心身の疲れからか、

目の上まぶたが窪んでいた。

 

しかも、無表情で顔も死んでいる。

目のクマも酷い。

 

明らかに疲れていた。

 

僕はこんな顔で仕事をしていたのか・・

けど、仕事しんどいし全く面白くないし・・

 

ていうか、まだ20代半ばなのにちょっと老けたな・・

 

 

しかも、

市役所は築50年とかの超ボロい建物で、

冬は糞寒かった。

 

冷暖房ガンガンに掛けていると、

市民から贅沢するなと苦情が来たりとか

自治体として地球環境に配慮すべきとか

 

そういったもろもろの事情から、

冷暖房はかなり控えめの設定だった。

 

特に冬は、

風が吹いてない屋外で仕事をしている感覚。

 

冷え性の僕は、

指先も脚も一日中冷たくて、

ただ職場にいるだけでも拷問だった。

 

1ミリも仕事内容に興味が持てない。

人間関係も上手く立ち回れない。

職場環境も劣悪。

 

それに追い打ちを掛けるように、

定年を70歳に延長すべきみたいな議論が出たり、

職場の年金支給額が実際にガクンと減ったり、

そういうのを聞く度にテンションが下がった。

 

 

本当の安定とはいったい・・・

 

 

ただ僕が心の底から愕然としたのは、

平日の仕事が辛いことなんかではない。

 

そんなことは就職前から容易に想像がつく。

 

 

 

真の不幸は、

 

 

 

 

 

休日すら心の底から楽しめないこと。

 

 

たぶん僕だけじゃないと思うけど、

週明けからの5連勤が嫌過ぎて、

仕事のことが休日も頭から離れないんですよね。

 

いわゆる「サザエさん症候群」ってやつです。

 

 

ただ僕の場合はヘタをすると、

土曜日の昼下がりから既に憂鬱になっていた。

 

どうせ日曜日は休みやのに1日憂鬱で過ごすんやろ・・って。

 

当時付き合っていた彼女とのデートでも

特に日曜日だと仕事がチラついてどこかモヤモヤ。

 

日曜日が終わればまた金曜日までじっと耐えるだけの日々か・・

と。

 

 

肉体的ではない精神的な拷問。

 

 

これがもし僕が仕事が超デキて、

仕事も興味があって楽しめていて、

職場でも人気者だったら違ったのかもしれない。

 

現実を見ると仕事は残念なほうで、

自分には向いてないと負けっ放しの劣等感まみれ。

 

上司に嫌われてないか顔色を伺いながら

神経をすり減らす日々。

 

まぁ、スポーツもできないとつまらんのと同じで

仕事も活躍できないとモチベは湧かないよね。

 

 

こんな糞みたいな人生をあと何十年続けるのか。

生きるってこういうことなのか。

 

とか考えると正に絶望しかなかった。

 

こんな人生で本当に終わってしまっていいん?

いや・・・逃げたい。

 

ただ以前に母親から聞いたけど、父親もボヤいてたらしい。

「仕事しんどいわ。。。」

と。

 

学生時代にラグビーとかして、

気の強い体育会系出身の父でも仕事はしんどいんだ。

 

ただそれにもかかわらず、

定年まで勤めあげて僕らを育ててくれました。

 

それに母親も言ってました。

「仕事はしんどくて当たり前よ~」

みたいな。

 

だから男は辛くても我慢するのが当たり前で、

ちょっとぐらい仕事が嫌ですぐに辞める男は根性ナシという認識だった。

 

それになにより周りの同僚は、

涼しい顔で卒なく仕事をこなしている(本心は知らないが)。

 

中には、

仕事が楽しくて仕方が無い!

とかほざく同僚や後輩もいる始末。

 

それを聞いた僕は、

市役所の仕事が楽しいとかこいつ頭イカれてるわ・・

みたいにしか思えなかった。

 

仕事がつまらなさ過ぎるがゆえの自己防衛のために、

仕事サイコー!

頑張ってる俺サイコー!

などと、

 

そういう奴らは自分をうまく

逆洗脳しているんじゃないかと思った。

 

 

ただ、心底羨ましかったのは紛れもない事実で。

 

給料は別に高くはないけど安定してるし、

何より人生の大半を占める仕事が楽しいって最高の人生やん。。。

 

一方で僕は辛い顔をして、

土日だけが唯一少し心が休まる日々を

ずっと繰り返している。

 

やっぱり僕は無能で堪え性も無いヘタレなんやな、、、

しかも、一般的に楽とかヌルいと言われる市役所の仕事で。

 

月曜日の朝。

「また今日から我慢するだけの日々が始まる」

という絶望感から吐き気がした。

 

ただ、簡単にズル休みするわけにいかない。

なんとか自分を奮い立たせて職場に向かう。

 

そして金曜日の夜に、

一瞬だけ気持ちが楽になる。

 

ただ、土日なんてむちゃくちゃ早くて。

 

日曜日の夜は超憂鬱になり。

 

寝てしまったら月曜が来る。

だから、まだ寝たくない。

 

ベッドに寝ころびながら、

もう少しだけYouTubeでも見よう。

 

そうするといつの間にか眠っていて。

気付くと月曜日の朝で絶望感。

 

そう、これが続くだけ。

 

けど我慢しなきゃいけない。

みんなしんどいけど頑張っているんだから。

 

でないと社会では生きていけない。

耐えなきゃ。

 

 

・・・けどずっとこのままの人生ってどうよ?

 

そうやってぐるぐると葛藤する日々を延々と過ごした。

============

↑ストーリーここまで

 

 

公務員時代は周りの人間と比べて

ひたすら鬱になってましたね。

 

 

心から仕事を楽しんでいる同僚。

 

仕事をサラっとこなして、

プライベートも楽しみまくってる同僚。

 

そういう人達と自分を比べて、

一体僕の存在ってなんやねん

ってずっと思ってました。

 

 

僕はこんな生活を約9年間続けたのです。

 

勤務日数をさっき計算したら、

だいたい2,000回は出勤してます。

 

本気で自分を褒めてやりたい(笑)

 

仕事が嫌過ぎて軽い鬱っぽかったときもあるし、

仕事にも割と慣れて周りに頼られたりしちゃって

気楽だった時期もあります。

 

ただ、現実は大きくは変わりませんでした。

自分の生き方にモヤモヤと悩む日々。

 

逆に、動いたらあっと言う間に変わりました。

僕の場合は1年で激変です。

 

そう。

だからとりあえず動いてみたら、

意外に現実はス――っと変わるんですよね。

 

悩んでいるうちは何も起こりません。

 

白馬の王子様が女性を迎えに来るみたいな夢物語は

現実世界では99%起こりえないんです。

 

それが僕の経験からあなたに伝えられることですね。

 

 

最後に、

アメリカで取られたアンケートの話をします。

80歳以上の男女にこういう質問しました↓↓

 

「人生で最も後悔している事はなんですか?」

 

1位は、

『チャレンジしなかった事』

この回答がぶっちぎりで、

全体の70%を占めていたらしいです。

 

まぁ、でもやっぱりそうですよね。

 

 

ただ、これって未来を想像してみれば

わかることだと思うんですよ。

 

日々を生きていれば薄々気付くはず。

 

ただ、多くの人が行動することもなく

そこから目を背けてしまってるだけです。

 

========

 

社会不適合だった僕は組織で働くのが苦痛過ぎて

2020年に9年間勤めた公務員を脱サラしました。

 

 

人が悩みを解決できる情報を提供する商売である

「コンテンツビジネス」で起業した結果、

 

脱サラから1年後には月収160万円を達成しました。

 

 

金銭的にも時間的にも自由の身となり、

 

職場の嫌な人間関係とは無縁な人生を

手に入れることができたどころか、

 

仕事が嫌過ぎて土日のために生きていた

公務員時代とは一転して、

 

仕事が楽しくて仕方がない状態にもなれています。

 

 

ただ、僕は優秀な人間でも何でもなくて

 

職場で活躍する同僚に劣等感を抱く

うだつの上がらない男でした。

 

 

しかし、こんな僕でも

 

楽しいと自信を持って言える人生を

今は送ることができています。

 

 

なので「何の苦労もなく・・」

というつもりは全くないですけど、

 

ただ、ちょっとだけ。

 

ビジネスに必要な知識をきちんと学んで

ちょっとだけ頑張るだけで

 

意外にも簡単に人生は変えられます。

 

 

そもそもミロクがなぜこのブログを運営しているのか?

 

という理由も含めて、

仕事で苦しんでいた時期から今に至るまでを記事にしました↓

つまらない仕事に耐えるだけの人生に絶望していた公務員が脱サラ起業から1年後に月収159.98万円稼ぐまで【自己紹介】

 

 

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